崋山と蟄居

蟄居というのは、本来
屋敷の一室より出てはいけないものらしい。
崋山の場合、江戸で判決を受けて
田原で蟄居したものだから、
さほど厳密にはならず、
畑で鍬を振るっていたりもした様子だ。
田原藩は、財政困難がひどく、
国許では小物から家老まで全員
2人扶持という、おとろしい時代もあったそうで、
基本、内職などには甘かったかと思われる。
それでも、あくまで罪人として
反省しているという態度を崩すことは許されない。
福田半香が、崋山の生活を助けるために
崋山の絵を売ろうとした、それ自体は
ひっそりとやればさほどの問題にもならなかったかもしれないが
堂々と個展を開こうとしたことで、
幕府や藩の耳に入り、問題視された。
それだと、幕府が切腹を命じても不思議ではなく、
そうなると、藩の管理責任が問われる。
そういうことなんだろうと思う。