先生と僕と東京大学

明治17年東京大学予備校に入学、と
書いてあった。
なんのことやらさっぱりわからず
調べてみれば、一高の昔の名前らしい。
どうやら、場所も駒場ではないようだ。
本郷の池は三四郎池と呼ばれている。
それで駒場の池を一二郎池と呼んだ。
漱石の名残とでもいうべきものが
ほんの少しばかり残っている。
学校のあれこれに詳しい人から聞いたが、
制服は廃止されず残っているそうで、
夏はカンカン帽だとか言っていた。
別な人から、下駄禁止という校則も残っていると聞いた。
本郷の医学部に、漱石の脳があるとかで、
それを見に行こうという話がでたことがあった。
生憎、自分は都合が合わず行かれなかったのは
今でも残念だ。
弥生の農学部には、ハチ公の心臓があるそうだ。
獣医の知り合いが、フィラリアだと言っていた。
大学からほど近くに、大正時代からやっているという
フルーツパーラーがあって、
時々昼飯を食いに行った。
カレーラースを出すのだが、それが不味くって
時々、焦げている。
皆、不味い、不味いと言いながら足を運んでいた。
理由は良く分からない。
漱石が帝大にいたころの店も
探せばあるのかもしれないが、知らぬ。
ゆっくりと思い出してみると、
色々となつかしいこともある。