high/low

ハイ・ティーという語をときどき見る。

それに対しロー・ティーというのもあるのだが

あまり見ない。

何の本で読んだのかもう忘れたが

格式が高いのはlowの方。

この高い低いはテーブルの高さなのだそうだ。

ハイ・ティーは食卓テーブルで食べる要は夕食。

茶請けとして有名なものに、サーディンの缶詰。

そのまま食べられる簡単なおかずってこと。

多分、ハムとかベーコンとかも食べてる。

キッチンはあっても、料理人はいないので

簡単なものしか作れない。

でも、あんまり英国でお総菜屋って聞かない。

まあ、小説って上流階級の人が書いてるし

題材も料理人のいるお屋敷か、最下層の2択な気がする。

ロー・ティーはローテーブルで、ソファとかに座っていただく。

こっちはおやつ。

茶請けの代表格はキュウリのサンドイッチ(高級品)。

bread and butterとかも出てきたなー。

tea cakeというのも読んだことあるけど、

具体的にどんな菓子かは知らないなあ。

オメガバースってなんやねん

いや、二重に性があるって、意味が。

 

無性生殖する生き物は、いる。

無性生殖でも、固定しない性で遺伝子を交換することも、ある。

状況次第で無性生殖と有性生殖を切り替えることもあり、

植物のようにおしべとめしべがある、つまり両性具有もある。

性分化が遅いものも、特殊な性分化もあれば

性転換する生き物も、いる。

生き物の性は多様で、生まれたときから雌雄に分かれてるものでもない。

要するに、やり方は色々あるわけだが

二重に性がある、というのは、あるのかね。

ある意味が分からん。

まあ、進化ってさほど合理的なわけでもないが。

 

ファンタジーなんだから、いいだろって言われるだろうけれど

そこに合理性と必然性で説得力を持たせるのが

ファンタジーの神髄じゃねぇの、って意見もあるわけだ。

というわけで、誰かその必然性を考えてみてくれないかなー。

執事、メイド、家政婦

なろうで、たまに執事長とか出てきて、

なんやそれ、って思います。

ヨーロッパ翻訳だと、執事は長の役職なんで、

そこに長はかぶせないですねー。

 

執事と訳される英語には、

steward、butler、valetなどがあります。

日本語の執事は、寺の執事、とかまだ残ってるぽいけど

どういう役職かは、よく知らない。

 

stewardは家令と訳すこともあって、

家と領地の経営を補佐するような役割。

代々仕えてる、とかいうのも見る気がします。

とはいえ、上級使用人とはいえ、使用人には変わりない。

日本だと殿様の側仕えとか、武士ですけど、

あちらでは、使用人であり、労働者。

時代が下るとstewardはあまり見なくなって、

秘書が出現するようになります。

多分、主人が領主から社長や株主に変化するのと同じかなあ。

秘書だと、主人一家の食卓に、およばれしてることもあります。

役割は似てても、立場は全然違う。

 

執事といって、真っ先に思い浮かぶのがbutlerかも。

「19世紀のロンドンはどんな匂いがしたのだろう」では

食堂支配人と訳されていましたが、

bottler、酒瓶bottleを管理する者が語源だとかで、

主な仕事は、正餐の進行。

男性使用人の長でもあります。

valletは人につき、butlerは家につく、などとも言われ

食堂中心に家の仕事をする役割です。

執事が銀食器を磨くとかいうのも、そういうことですねー。

銀だけでなく、陶磁器も貴重品なので、

下っ端のメイドは触れないです。

ただ、これは執事の仕事ではなかった気がする。

男性使用人は主人や客の前にも出るので

それの長である執事も、主人の世話や来客対応があります。

 

valletは従僕と訳すことが多いですが、

ウッドハウスのジーヴスがvalletなので。

男性の主人の身の回りの世話をする人で、

旅行などにもついて歩きます。

日本の執事イメージはvalletのが近いかも。

 

男性使用人の長である執事に対し、

女性使用人のトップはhousekeeperです。

家政婦の象徴は、鍵束。

家のすべての鍵を持って、屋敷を管理する偉い人です。

掃除とかするのが、メイドの役割ってこともあるので

その上に立つ家政婦が、屋敷を管理してるんですかねー。

執事とどっちが上かと言われると、ケースバイケースっぽいです。

クリスティ作品で、家政婦が執事の人事を、どうにかしてるのありましたし。

まあ、クリスティは時代が新しすぎて、なんか違いますけど。

赤バハ0周

先週末は、結局、一度も赤バハ集まらなかったんですよねえ。

こんなことは、、多分なかった、かもしれない。

断言できませんが。

悲しいね。

どうしたら人が来るようになるのだか。

地道に募集し続けるくらいしか

思い浮かばないっていうか。

うーむ。

 

他はあんまりやる気なくて、ログイン減ってます。

色についてのメモ

ネットで調べたこととかのとりまとめ。

 

色とは、光の波長。

アナログに変わるものに何故三原色があるかは、

人の錐体細胞が、3種類だから。

赤(長波長)に反応するのと、

青(短波長)に反応するのと、

緑(中間)に反応するのと

光の三原色の根拠がこれ。

そして色素が吸収する色の補色が認識した色になる。

減法の三原色は、

赤をフィルターするシアン、

青をフィルターする黄、

緑をフィルターするマゼンタ。

 

ということに、なるのかな。

不斉

図形の合同とかで、鏡像になっているのを見ると

もやっとする。

専門職からは離れて久しいけれど、

それでも学部教育は、それなりに染みついているのだろう。

フィールドによって違うだろうけど

私にとっては不斉は別物だ。

 

不斉、キラルまたはカイラルとも言う。

有機化学の人だとドイツ語読みする人も多いが

それ以外だとだいたい英語読みにする。

定義は鏡像がそれ自体とぴったり重ならないこと。

具体的に言うと、手。

右手を鏡に映すと、左手になって、

右手と左手は、重ならない。

そういうものを言う。

数学的には、内部に対称性がないとキラルになるらしい。

有機化学においては、炭素の4本の手に

それぞれ違うものが付いているとキラルになる、という認識。

ちなみにキラルでないものは、アキラルと言う。

英語読みでエイ-カイラルと言う人もいる。

日本語はなんだったか、非を付けるんだったか。

でも不の前にさらに非がつくのは、気持ち悪いので却下。

 

キラルなものとその鏡像は、右左と区別して呼ぶことが多い。

理由の一つは偏光の性質が絡むからだが、

単に手のメタファーで左右と言っている、ということもある。

化学的性質は同じ。

なぜこれが問題になるかというと、

生体に投与した時の反応に差があるからで。

 

教養の化学の教官が「靴と靴下の法則」と言っていた。

足はキラルである。左右がある。

靴もキラルである。だから、右足は右の靴しか履けない。

ところが靴下、無地のソックスはアキラルである。左右がない。

だから同じ靴下を右足に履くこともできるし左足に履くこともできる。

キラルであることの問題点がこれ。

生体はキラルなのだ。タンパク質とか、そういう色々が。

だから、キラルなものを区別する。

キラルな物質の右が薬だったら左は毒ということは、よくある。

だから、右と左は違うもの、として考えるクセがついている。

 

というわけで、鏡像を同じものと言われると

なんとなくもやっとする。