蛮社の獄と昌平校

蛮社の獄に際し、真っ先にそっぽを向いたのは
医者たちだった、と「実伝江川太郎左衛門」にあった。
まあ、もっともなことといえる。
蘭学は、はっきりした禁令が出たわけではないようだが
禁止されていないとも言いがたい危ういものだったといえよう。
蘭方医学に関しても、やはり立場が弱かった。
だからやばいと思って見てたんだよね・・・と
内心思った人も多かったんじゃないだろうか。
とばっちりで蘭方医学まで制限されてはかなわん、
といったところだろう。
学者たちが、知らぬふりを決め込んだのは
林家を恐れてのことであろう。
蛮社の獄に際して、佐藤一斎が昌平校の名簿から
崋山の名前を削除した。
寛政異学の禁はまだ生きていたようで、
林家から波紋されると、社会的に抹殺される可能性が
充分にある。
この脅しがきいたようだ。
例外の松崎慊堂の偉さが際立つ。