19世紀の捕鯨

「宝島事件」と呼ばれるものがあります。
確か奄美諸島だったかの、宝島に上陸した
イギリスの捕鯨船が、牛を欲しがって
売ってくれ売れぬの押し問答の末
銃を乱射したというものです。
風雲児たち」のほかは、ネットにも見なかったので
詳細その他よく分かりません。
天保の頃に、異国船打ち払い令が出たことがありますが
日本に来てしまった外国船(外交要求のない船)への対応は
水、野菜、その他航海に必要なものを与えて
速やかに立ち去らせるというものだったそうです。
開国も間近な頃になると、欧米諸国による乱獲で
鯨は日本近海まで来ないといない、という状況だったとか。
ずいぶんな数の捕鯨船が来たのではと思います。
ジョン万次郎も、捕鯨船に保護されましたが、
その後、捕鯨をするうちに、東北の漁師と接触し、
言葉が分からなかったというエピソードがあります。
日本が外国人の上陸を許可しないというのは
船乗りなら知っていただろうと思います。
それと同時に、タダで水とかくれるよー、というもの
知られてたんじゃないかなー・・・という気が、うん。
日本は、それほど捕鯨が盛んではなかったと思います。
1頭仕留めれば、1村が半年暮らせるとかなんとか言いますし。
捕鯨の伝統、文化、技術はあったのでしょうけど、
数としてはあまり捕らなかっただろうと思います。
風雲児たち」によれば、あちらの捕鯨船
脂だけ取って、あとは海に捨ててしまうのだとか。
メルヴィルの「白鯨」にも描写はあるかもだけど
読む気がしなーい。