権記そして枕草子

行成側の史料には清少納言に関する情報って
出てこないみたいなんですよね。
権記にも出てくる様子はありません。
ほんの少ししか読んでないけれど。
あれは故実に合っている、それは礼にかなってない、
などといちいちに小姑のごとく細かくチェックしている
権記の行成さんですが、
枕草子だと、なんだかちょっとへんな人です。
長徳4年3月3日
昨夕、内裏に候宿した。今日と明日は一条天皇の御物忌である。
という記述があった。
はて、これはかの「夜をこめて」の日付だろうか?

頭の弁(=行成くん)が、職にいらして、おしゃべりしていたら、
深夜になってしまった。
「明日は御物忌だから、遅くならないうちに行かないと」
と言って、戻って行かれた。
次の日、朝早くに文をよこしたのだけれど、
どこから突っ込めばいいのか。
まず紙が役所の事務用紙。
「今日は心残りです。夜通し色々お話したかったのですが
鶏の声がしたので」まあ、だいたいこういう内容。
事務用紙なのに後朝みたいな。
ナニカあったわけではありません!
それに夜中に帰ったのだから、鶏が鳴くはずもなし。
にしても、やはり手蹟は見事。
返事に「深夜に鳴く鳥というのは孟嘗君でしょうか」
さらに「孟嘗君は鶏の鳴きまねで、
函谷関を開かせて、関所を抜けたといいますが
この場合、逢坂の関ですw」というので
「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
よくできた関守がいるのです」と送った。
そしたら返事に
「逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにも開けて待つとか」
と、一連の手紙のやり取り、
最初のは、定子さまの弟の僧都の君に
どうしてもと頼まれて差し上げた。
土下座されちゃったよ、ヒー。
あとのは定子さまに。
それにしても、逢坂の歌、、
たしかにリアル逢坂の関は、あけっぱだけど、
人をサセ子呼ばわりするかよ!
返事などできるかオラァになってしまった。むー、イカン。
(あと後日談で、行成が清少納言の歌を
皆に見せたら感心していたよ、というのを清少納言が喜び、
清少納言は行成の歌は誰にも見せないでおいたわよ、
と言ったのを行成が喜ぶという様子が出てくる。)

物忌前日の宿直、という符合はありますが、
まあ、そんな日はいくらでもあったかもしれません。
現代語訳はもっと顔文字使って、
今風ブログっぽくしたかったのですが、
顔文字はよく分からないので、無念。