蘭癖大名

島津重豪、奥平昌高あたりがその筆頭らしい。
ま、親子ですが。
特に奥平昌高は、オランダ語まで勉強し、
それに飽き足らず、フレデリック・ヘンドリックと名乗る始末・・・

はて、wikipediaには
養祖父の昌鹿より、藩医であった前野良沢らが『解体新書』の翻訳で辞書がないため苦労した話を聞いており
とあるが、昌鹿没1780、昌高生1781なんですけど・・・
誰から聞いた話なのかなー。
ちなみに中津藩士前野良沢は1803没でござる。
昌高さんは誰からオランダ語を教わったのでしょう?
ちなみに『蘭学階梯』1788刊なので、テキストはありました。