「私の「漱石」と「龍之介」」内田百輭 ちくま文庫
まあ結局は自分の話が多いのは当然。
それにしても、漱石は機嫌の悪いときは
大変だったようですねー。
百輭先生、面白いですから。
そしてやっぱり困ったお人だ。

「人の性格はDNAで決まっている」中原英臣・佐川峻
血液型性格判断を信じさせる叙述トリックについて述べてあるが、
この本自体もそのトリックを使っているという印象が否めない。
脳内物質や受容体の遺伝子は、もちろん
その人の性格に影響するだろうが。
そういったことを主張、研究する人たちの言う「性格」が
世間一般で用いられる言葉としての「性格」とは
ニュアンスを異にしている可能性も想像に難くない。
双子などで遺伝子の研究は進んでいるだろうが、
例えば日本だと国立大学の附属小学校が
双生児を集めていたりして、
ほぼ同じ環境で育っている双子の研究は進んでも、
生き別れになった双子を見つけるのは至難の業であるから
まったく異なる環境で育った双子については
なかなか研究が進むまい。
まさかに人格形成期にある子供の双子を
親元から引き離し、別々の環境で育てるわけにもいかないから、
まだまだ、明確に断言するほどのデータは取れまいと思う。
明治時代と今とでは、日本人の平均身長は大きく差がある。
とはいえ、国際結婚はさほど多いわけでなく
遺伝子プールには大きな変動はない。
こんなにも身長が伸びたのは主に食習慣であって、
体格ですらこのように環境の影響が大きいのだから、
性格にいたってはなおさらだろうと感じる。
まあ、遺伝子で人の性格を云々することの
妥当性、科学的根拠に疑問がないとしても、
「自分の性格タイプがわかったからといってそれにとらわれる必要はまったくない」
と言いつつ、
性格タイプ別に職業の向き、不向きを述べているのが
大いに気に入らない。
いずれにせよ、遺伝子により将来が限定される未来は
回避したいと強く願う。
そうですよね、アシモフ先生。
ただ、あらかじめ知ることでリスクを回避する
というのはあるかな。

イザベラ・バード日本紀行」 講談社学術文庫
明治初期・・・16年前にはショーグンがいたというから、
まあ、明治16年ごろのことなんだろう、
転地療養に日本に来たイギリス女性の旅行記
色々とツッコミどころがあるので、
ちょびちょびと読みながら突っ込んでいきたい。
例えば、イギリスにおいて交わされた会話
「サー・ハリー・パークスは日本の総督ですか」とか・・・
ひでぇよイギリス人。
ま、彼らは基本、よく知らない土地はすべて
自国の植民地だと思ってる節が、、うん、まあ・・・さもありなん。

そういえば、本屋で「ビゴーの見た日本」だったかな?
立ち読みしたけれど、
フンドシの後ろを引っ張って隙間を作って
団扇であおいでる絵が面白かったです。
なるほどこれはみっともない。