勝家

いや、やっぱり小吉さんというのが
なんとも魅力的なお人で。
「夢酔独言」についてちょいと。

幕府の沙汰で「押し込め」にあったときに
書かれた、あるいは書き始めた。
住処を鶯谷庵と言っているが、
台東区鶯谷なのか、文京区春日に
そういう地名があったのか、
押し込められた永田町の屋敷に地名という説もあるらしい。

小説などでは、妻などに口述筆記させているのが多いが、
教育出版から出ているカバーが原本を使ったのもで、
なんともたどたどしくも荒っぽい筆致であり、
口語そのままの文体や、あまりに初歩的な誤字脱字など
本人が筆を取って書いたとみるのが適切だろう。
16歳で就職活動始めたときに、自分の名前が書けなかったという。

男谷との関係についてちょいと。

海舟の妹たちは、男谷本家で育てられたという。
風雲児たち」では口減らし同然に預けたとあり、
子母沢寛では小吉が育てたのではろくなものにならぬと
兄に無理やり取り上げられたとある。
「氷川清話」には「書は伯父の男谷に習ったこともある」とあり、
そこまで破綻した関係ではないだろうと思う。
ただ、海舟が男谷でなく島田の道場に通っていたのには
なにかわけがありそうといばありそう。
男谷精一郎が海舟に蘭学を勧めたという説もあり、
勝家と男谷家とは仲がこじれていたわけでもなさそうだ。

小吉押し込めの年。

「夢酔独言」冒頭には、
息子が(中略)おれがこまらぬようにしてくれ、娘が家内中の世話をしてくれて、(略)、今はまことの楽いん居となった
一方、「氷川清話」には
親父が(中略)御預けになったときには、おれの家をわずか4両2分に売り払ったよ。それでも道具屋は殿様だからこれだけに買うのだなどと恩がましく言ったが、ずいぶんひどいではないか
同じ時期についてだが、この対比がなんとも可笑しい。