上野の宮様

金曜日に上野東照宮に牡丹を見に行ったのですが。
公園内に北白川宮だれそれの像という
実に勇ましい騎馬軍服の像があります。
説明書きを見てもどういう人だかよく分からず、
そういや本で見たなあ、と読み返してみれば。
(「東京歴史散歩 幕末編」)

もともと寛永寺の住職であった法親王だそうです。
江戸っ子たちは上野の宮様と呼んだとかで、
幕末も幕末なので最後の上野の宮様です。
そんなわけで、鳥羽・伏見の戦いに敗れた慶喜
転がり込んできて謹慎したり、
彰義隊が立て篭もったり・・・
謹慎した慶喜の意を受けて、駿府有栖川宮のもとに行って
慶喜助命と江戸非交戦を願い出ました。
他にも和宮が奥女中に文を持たて有栖川宮と交渉したり
山岡鉄舟が西郷と交渉しに出向いたり、
多くの働きかけがあっての江戸城無血開城です。
西郷と勝の会談は、双方の兵を納得させるための
パフォーマンスだったという見方が強いようです。
で、ラスト・上野の宮様ですが
彰義隊の戦争からなんとか脱出できたものの
今度は奥羽列藩に担ぎ上げられてしまうという。
なんともなんとも。