なんか思い出したりした続き

そもそも、(当時は知らなかったが)自分には
アスペルガーという問題があって、
経験から物事を学ぶのが苦手だということがある。
その上にもって、人と親しく接することがないものだから、
「常識」というものがまるで身につかなかった。
いつも一人で本を読んでいた。
児童文庫のシリーズを乱読していた。
日本のものは、新しい作品が多く、
説教くさくない娯楽性の高い、ユーモラスなものが多い。
対して、ヨーロッパのものは、
キリスト教世界の思想と教訓が入っている。
「アルプスの少女」、「若草物語」などなど
すべてそうなのだ。
だから、自然、その思想の影響を受けた。
それはまた、現実世界ではひどく非常識だったから、
ますますもって変な子供になった。

小学校も高学年になると、外見でからかわれることが増えた。
目立つ容貌をしていたから、嫉まれたのだろう。
運動はまるでできなくて、ことにドッジボールは苦痛だった。
協調性がないといつも通信簿に書かれた。
学校の教員たちは、日教組日本共産党
反科学自然系運動家を混ぜくった人たちで、
学歴社会に反対するあまり、
勉強ができるのは悪いことくらいの勢いだった。
そして私は勉強ができた。
なんとも、どこにも取り得がなかった。

中学校に入ったころから、自分で自分を
笑いものにすることを覚えた。
変な人、おかしい人をわざわざ演じて
自分の本体が傷つけられることを回避した。
そうすることで、周りとの摩擦も減った。
かろうじて存在が許されるものになった。
けれど、それを続けることで、
自分がいったい何なのか、しだいに分からなくなっていって
大人になってからもずいぶん長く、
自分とはいったい何者なのか、悩むことになった。