こうなると理解不能

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プロイセンにおける王(プロイセンにおけるおう、独:König in Preußen)は、1701年 から1772年までの間、プロイセン君主としてのブランデンブルク選帝侯が使用していた称号。その後はプロイセン国王(König von Preußen)の称号が使われるようになった。

そもそも、ヨーロッパちゅーのは一国が
英語で言うとkingdomであったりprincedomであったりdukedomであったり
さらには伯爵領だったりするのだが(独立国なのに)
この辺はまあ、おそらくローマ帝国の属国だった名残というか
国力によるランク付けがあるという謎システムなんだが
ローマ法王神聖ローマ皇帝がランク付けしたり
周辺諸国の合議で決まったりするようなんだが、
konig in preussenとkonig von preussenという称号の違いの意味が
まったく理解不能