大学の頃

母は大変に支配的な人でした。
気に入らないことがあると、非常に不機嫌になり、
そのありさまがまたすさまじく。
いつも母の顔色をうかがって、
自分に何をさせたいのか、必死に読みながら
行動していました。
そして、いつの間にか、
とりあえず目の前にいる人の言うことを聞く人間が
できあがりました。
自分の意思というものもろくになく、
どうするか考えるということもなく、
流されるままに18になってしまった。
そのツケが一気にふりかかってきたのが大学時代。
男女の問題で色々と、まあ。
目の前の人の言うことを聞くという習性が
どれだけ災いしたかは、言うまでもないでしょう。
また、道化を演じて自分が傷つくのを避ける方便も
あまりに長く続けてきたために、
自分が何者なのか分からなくなって、
そのことも非常に悩みました。
今、ようやく、少しずつ自分になりつつあります。
意思という面でも。
また高校までにともだちというものが
ほぼなかったので(一人いますが)
ともだち付き合いというものがよく分からず
なんとなく女の子が苦手だったりして。
女子力の低い女の子とはわりと仲良くできたんですが。
・・・なんなんでしょう??
ことに、男女の問題でトラブったときに、
相談できる相手がいなかった。
母はかたくなにそういったことを拒否する人だったし・・・
残念なことに、興味を引く学問に逢えず、
なんとなくで講座を決めたけれど、
そこでも人間関係がうまく行かず。
周りに就職する人がいなかったので、
流されるように進学を希望したけれど、
(流されるのがそもそも間違い。
でも就職活動のやり方、分からなかったし)
就職活動の時期もとうに終わってから
かねてから関係の悪かった指導担当の助手に、
進学するなというようなことを言われました。
なんだかパニックになって教授に就職先を
斡旋してもらった記憶があります。
その助手さんとの関係は、ホント悪くて、
その人がいるだけでフリーズするようになって
精神科初来院したくらいです、、はぁ。
とりあえず、どこでもいいから、と逃げました。
逃げた先もまあ、やはり問題があったのですが。
確かに、逃げで行動することは間違っている。
けれども逃げないといけないときも、ある。
マ、同じ講座内にストーカーもいたんで、
そのまま進学してたら、今生きてないでしょう。

大学時代に知り合った中にも、
何人か、今でも連絡のある人もいます。
morimonとかT隊長とか。
Uさんには年賀状出してます。
彼らとあと数人で、会話をするのが、
とても楽しかった。
皆、非常に頭が良くて、反応がよく、
話がとんでもない方向にすっ飛んでゆく中、
いかに一座を感心させることを言うか、必死になって。
うん。楽しかった。