国語

「先生と僕」でこんなエピソードがあった。
ある生徒が、小説の登場人物の気持ちについて質問したところ、
「わからない」とあっさり答えた。
作者にも分からないだろう、読んだ人が勝手に
あれこれと考えるだけのことだ、と。
そうだよなあ、それが正しいよなあ。
夏目先生にめろめろになりました。

俺様ティーチャー」で期末試験対策をする話があって、
国語のテストについて、担当教諭に感情移入する、と
結論づけたシーンがありました。
これまた正しい。

学校のテストなら、日ごろ接している教諭が
問題作成、採点しますが、
大学受験となると、誰かすらわからない相手に
感情移入して考えろ、ということになります。
これが、本文中に明確に書いてあるところを引用する程度の
簡単な問題であれば、さほど異論はないのですが、
行間を読む、であるとか、解釈の域にまで達すると、
どうしても採点者の考えを読むのは難しくなります。

どうにも自分はズレているせいか、
そういうのがどうしても苦手でした。
まあ、自分はズレてるんだなあ、という程度の認識で、
とくに「苦手克服」のために努力しようとは思いませんでしたが。
(努力のしようもないような気もします。)

大学の頃、英語の授業で「Othelo」をやりました。
レポート提出だったのですが、
解釈が間違っている、ちゃんと読んだのか、
文章が幼稚だ、と言われました。
文章への苦手意識はしばらく続きました。
専門家でも解釈をめぐって議論が耐えないシェークスピア
この解釈は正しい、その解釈は間違っている、と
採点すること自体が間違っていると思います。
それでも、そう言われたことが、今でも、なにか
不快な記憶として、おなかの中でもやもやとしています。