道隆と百人一首

やすらはで寝なましものを小夜更けて
かたぶくまでの月を見しかな

来るって言うから、寝ないで待ってたのに、もう、プンプン。
という歌です。
今で言うとデートの約束をすっぽかされた感じでしょうか?
この時代、時間の感覚もずいぶんおおざっぱですし、
あと、家に訪ねてくる人を待つわけだから、
外で待ち合わせするのと違って気持ちの切り替えが難しい。
まだかなー、まだかなー、と月など見ながら、
月を見るのは風流の意味もありましょうが、
それで時間をはかるというのもあると思います。
月がすっかり昇って、あー、来るの遅いなー、
残業かなー、センパイに飲み会に拉致られたかなー、
寝ちゃおうかなー、でも来たとき
寝こけてたらださいしなー、とか思いつつ
月がさらに西に傾いて、あー・・・他の女のとこかなー
とか思っちゃったりして。
赤染衛門が、姉妹の代作で、道隆に送った歌です。
道隆が、貴子と結婚する時期とだいたい同じ。
出会うちょっと前といったところでしょうか。
まあ、その辺の想像は自由かにゃ。
これが赤染衛門の作ということは、
彰子に出仕した頃は、かなり年ですねーw
その赤染衛門の姉妹との関係はいつ頃まで続いたものか。

一方、
忘れじの行末まではかたければ
今日を限りの命ともがな
と歌った貴子さんは、三男四女を儲け
道隆の正妻として、押しも押されもせぬ地位を築きました。
息子たちもそれぞれに出世しているだけでなく、
帝の寵厚い中宮の母ということで、
たいそうな権勢であった様子がうかがえます。
道隆にはほかの女性との間の子もいましたが、
貴子をはばかってか、周りが貴子の子と比べて
軽視しているというようなことが、枕草子に出ています。