Henry VIIIカトリックヨーロッパの庶子

ヨーロッパ各王室には側室の制度はない。
それはカトリックの教義によるものだ。
そもそも、側室というのは、
男系の相続において、跡継ぎを確保するためのシステム、
しかし、ヨーロッパの封建時代はカトリックの下
庶子には一切の権利がなかった。
王も諸侯も、庶子を跡継ぎに据えることはできなかった。
もちろん、有力者が妻以外の女性を囲うのは世の常で
権力者であれば、庶子にもそれなりの地位を与えることができたが
それでも跡継ぎにはできなかった。
原則男系での継承において、
庶子を跡継ぎにできないということは
なんらかの歪みが生じて不思議ではない。
父親である、父親でない、という証明は
母子の関係ほどには簡単ではない、当たり前だ。
その歪みが一番顕著に表れたのがヘンリー8世じゃないかと思う。
ヘンリー8世の父親はヘンリー7世である。
だが、ヘンリー7世の王位継承権には疑問があった。
イギリス王家の血を引くとはいえボーフォート家の血統だったのだな。
このボーフォート家というのがややこしい家で
いつぞやの王様だかの庶子を祖とする。
が、その子を産んだ愛人と結婚してたんだ!と
王様が言い張って、なんとか嫡出と王位継承権を得ようとしたところ
嫡出は認めるが王位継承権は認めない、
というグレイな結論となった。
というわけで、正しくは、ヘンリー7世に王位継承権は、ない。
ヘンリー7世はばら戦争終結させたランカスターの盟主だが
その王位継承権を補うために、ヨーク家の王女を娶っている。
ヘンリー7世、ヘンリー8世のほかにも
イングランド王家の嫡出の血統はまだあったのだろうと思う、
まあ、その辺がヘンリー8世が嫡出男子の固執した理由かなー、、と。
男系相続で側室が置けないと、
正室が次々処刑されることになる、というお話でした。

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