HenryVIIIと国教会

ヘンリー8世は、、たしか7回結婚したんだったか。
最初の后と離婚するためにカトリックから分離し
国教会をおこしたと教科書には書いてあるが、
厳密に言うと、少し違う。
英国国教会は離婚を認めていない。
今現在はどうか知らないが。
エドワード8世の「王冠をかけた恋」で
国教会が離婚歴のあるアメリカ女性との結婚を
認めなかったとあるが、これまた厳密に言うと
少し違う。
国教会は離婚を認めていなかったので、
前夫が生きていれば、シンプソン夫人は
既婚女性ということになる。
「重婚はダメです」というのが国教会の主張。
ところで、ヘンリー8世は、確か7回ほど結婚していると思うが
そのうちわけは、婚姻の不成立1、離婚1、死別4、
生き残ったのが一人、だと思う。
ちなみに死別のうち半分以上が刑死である。
最初の后とは婚姻の不成立。
スペインの王女である。
もともと、兄嫁であったのだが、兄が早くに死んだので
政治的な理由でそのまま娶った。
これは、本来、カトリック教義では近親相姦になるので、
ローマ法王の勅免を得ている。
で、しばらく結婚生活を送ったが、
王様は別れたくなった。
というより別の女性と結婚したくなった、というのが正解だろう。
(おそらくは世継ぎの問題。嫡出じゃないと権利ないし。)
で、后とは7代だか8代だかさかのぼって
親類縁者だという事実を根性で見つけてきた。
これまた、近親相姦にあたる。
だから、そもそも結婚は不成立だ、
よって別の人と結婚してもいい、とごり押しした。
(で、これをローマ法王は認めなかった。
メンツもあればスペインとの関係もあるしのぅ。)
刑死した后のほとんどが、王宮女官など
身分の低い女性たちなのだが、
あともう一度だけ政略結婚をしたのが
アン・オブ・クレーブスとの結婚で、
これが多分、離婚にあたる。
(名前、あってるよね?)
ヨーロッパで王が他国の王女を娶る場合、
まず、使者が迎えに行く。
そしてその国で、使者が花婿代理として、挙式する。
そのあと、王の国で、本物の花嫁と花婿で挙式する。
で、花嫁がついたら、肖像画とえらく違って
ぶさいくだったので、追い返しちゃったというわけだが・・・
英国で式をしたかどうかはともかく、
花嫁の国許で一応式をしているので、婚姻は成立してしまっている。
だが、カトリックといえど鬼ではないわけで
(いや、そのときにはすでに国教会かもしれないが)
まだ何もしていない場合には、離婚できる。
おそらく、この件は離婚として片付けられているはず。
まあ、そんな話。