茶道とはなにか

どんどん分からなくなっている。
結論としてはひとつのビジネス、という気はする。
ビジネス化して形骸化した、ところもあるが
利休の時代にも、茶会を開くのは
一部の大名に許された特権であったりして
まあ、なんだかなあという気がしなくもない。
それはさておき、どうも道を振りかざすというのは
好きでない。
なんにでも道をつけて精神性を振りまわすようになったのは
少なくとも明治以降ではあるのだが。
それらの道をたしなんでいる人たちが
精神修養されているかというと、まあ。
過去のストーカーは合気道部だったし?
裏千家の大きな集まりで集まってる人たち見てても
馬鹿話してるか足の引っ張り合いしてるかってところで。
それに、道がつくものでなくても
スポーツでも学問でも、一心に打ち込めば
精神的になにがしかは身に付くものだと思うけどな。
名前に道をつけて、えらいんだ、すごいんだって
言っているのは、どんなものかと思うのさ。