それぞれの戦争体験

父方の祖父母は共に東京で小学校教員だった。
生徒たちを連れて疎開していたらしい。
そんなわけで、真ん中の叔父だけが、
福島県生まれだったりする。
戦争体験というようなものは、聞いたことがない。
母方の祖母は女学生で、千人針を縫っていたそうだ。
寅年だからやたらたくさん縫わされて、
とこぼしたことがある。
相方の父は戦地にて終戦を迎えたらしい。
場所はどこだったか・・・
終戦後も餓えや病で多くの仲間が死んでいったそうだ。
この差はなんだと、複雑になってしまう。
考えてみれば当然のことだが、
疎開した子供たちも、戻ってみると
親が空襲で死んでいるというケースも多かったらしい。
空襲の被害の多かった地域では養子縁組が多かったとか。
いずれにせよ、死んでいった人たちの上に
私たちの生がある。
後事を託されたものとしての務めがあるのだろう。
親を亡くした子を育てるのもその一例だ。
そのような直接の関係というのは今はほとんどないが、
考え出すとなにやら複雑になってきて、難しい。