という議論を某所でしているですよ。
うん、まあ・・・うん。
で、朗読してくださったのが「こぶうどん」とかいう。
これは詩です、という前提がないと、
詩とは分からない。
ショートショートの小説かと思いました。
例えば、谷川俊太郎に煙草の銘柄を羅列する詩がありますが、
煙草はなんとか、煙草はなんとか、ああ煙草はなんとか・・・
と延々続くんですね、
なんの前置きがなくても、これは詩だと分かる。
小説でもエッセイでもありえない。脈絡がないから。
じゃあ、詩とはなにかというところに戻ると、
結局は「詩として発表されたもの」が詩なんだろうと思います。
それをいいと思うかくだらないと思うかは読者の勝手だし、
いや、こんなものは詩じゃないと思うのも勝手。
そしてどう感じるかは、感性の問題であって
定義できるものではないだろうと思います。
もともとは、日本語で「詩」という言葉は
漢詩を指します。
それに対し、やまと言葉の詩が、歌。
ヨーロッパの詩の概念にこの言葉を充てた。
で、あちらでは非定型の散文詩ができていた。
どの文化も、古い文学は、定型詩である気がします。
古代ギリシアの遠大な叙事詩しかり、漢詩しかり、
そして和歌も。
中国の古い文章でいえば、漢詩の他には
「論語」なんてありますが、あれは文学ではなく、
思想書か教科書か論文か、そういったものだし、
正史も散文で書かれていますが、あれもやはり文学ではない。
日本でも、歌や漢詩に比べると、散文の物語は新しい。
まず定型詩があって、次に散文の小説が発生して、
それから散文で詩を書こうという動きが出たのではないか、と。
定型詩から散文詩が発生したのであれば、
散文詩にもなにかしら決まりごとがあったものだと思います。
そういった色んな動きがあった先に、現代詩がある。
そういうことではないかと思うのですが。