八百善

さて、日米和親条約締結の際に
ペリー饗応の「本膳料理」に腕をふるったのが
江戸二大料亭、八百善と百川の板前と言われている。
どうやらこれは、伝説であるらしい。
百川のほうは、今は落語にしか出てこないが、
八百善は今でも残っている。
ただし、通販しかしていないようだ。

で、八百善のHPを見てみると、
「玉菊百回忌」なるイベントの記録が出ている。
太田南畝や谷文晁が集まっている様子を
渡辺崋山が絵にしている。なんと豪華な。
崋山どの、びんぼーじゃなかったんですか・・・
高級料亭なんかに上がりこんじゃって。
1両2分のお茶漬けとか食べちゃったんですか・・・

他、八百善が出した料理本に「江戸流行料理通」
というのがあるそうで、
序文を蜀山人亀田鵬斎が、
挿絵を谷文晁、葛飾北斎が担当するという
これまた豪華な顔ぶれ。
まあ、いわゆる文人サロンというやつでしょうね。

ところで、谷文晁は現存する作品が少ないそうです。
崋山も画像検索結果から察するに、少ないですね。
崋山の場合、身分が身分なので、
まとまった作品の依頼がなかっただろうとは思います。