愚直

おろかにしてすなお。
この言葉をはじめて聞いたのは
国文の講義だった。
なぜか源氏で末摘花だけを抜き出して、
その後日偏の蓬生のみならず、
彼女が出てくるところはすべてプリントを作り
読んだのだった。
その講師の彼女に対する評価が「愚直」だった。
末摘花は源氏の失敗譚だ。
評判だけ聞いて、通ってみたら、驚くほどのブスだった。
しかも、話しかけてもろくろく返事もできない子なのだ。
そんなわけで、源氏も流罪になって以降、
すっかり彼女のことを忘れてしまう。
だが、彼女は源氏を信じて待ち続ける。
召使にはだまされ、兄にも防寒着の毛皮を持っていかれるが
相手を悪いとは思わない。
むしろ自分がだれかの役に立ったことを喜ぶのだろう。
厳しい境遇に置かれているが、愚痴をこぼすでもない。
ただ、受け入れる。
確かに、彼女はなんの努力もしない。
ただ待っているだけでは、なにも得るものはあるまい。
だが、なにも望まなければ、
なにかに向けて努力することもないのだ。

「フルバ」の透も愚直だ。
悪意を思い切りぶつけられても、
相手を悪く思うことがない。
ただひたすらに人の善なるを信じている。
なるほど、バカなのだろうが、
人はそういうものに救われるのだろうと思う。

善良なだけでは、生きていくことができない。
「世の中、ずるい手を使わないと成功しないんだよ」
そういう世界観を持った作家は多い。
実際にそうなのだろうと、思う。
アンデルセン、エンデの厭世的なこと。
せめて物語の中だけでも善なるものに祝福があってほしい、
そう願う書き手も多い。
ワイルドの矛盾していること、なんだろう。
それは願いであり、救いでもあるのだと。