征韓論政変

明治六年政変というのが正しいらしいが。

西郷派の人に言わせると、
岩倉、大久保らによる西郷追い落とし、
大久保派の人に言わせると、
西郷は朝鮮に死にに行くつもりだったから出せなかった、
という。

朝鮮に対して、外交の使節を何度か送ったものの
けんもほろろであったとか。
どうやら関係が険悪になったそうだ。
使節に送った官吏の位が低かったせいもあろうと、
西郷が自分が行くと言い出した、らしい。
兵を挙げるなどとはまったく言っていない、
正論であると、西郷派は言うが、
そこの正論に弱い部分があるとすれば、
西郷が軍人、しかも元帥だか大将だかであるところだろう。
関係悪化のところに軍人が出るというのは穏やかでない。
使節が文官であれば、非の打ち所のない正論になろう。
大久保寄りの人たちの証言によると、
朝鮮は自分を殺すだろう、
そうすれば兵を出す大義名分ができる、
というのが西郷の考えだったという。
まあ、陸軍大将が出ればそういう可能性もまあ・・・
で、結局のところ、岩倉が西郷の意見を握りつぶしたらしい。
その握りつぶしというのが、
政権闘争だったと言われて当然だろうという部分だろう。

暗殺されずに生きて帰って来そうなのは、
やっぱり木戸ですかねぃ。
斉藤道場塾頭の実力。
西郷は巨漢で、飛び道具のいい的だし。
まあ、毒殺となると皆同じですが。
ネゴシエーターの腕なら大久保ですか。

で、西郷は鹿児島へ引っ込んでしまった。
「おいは帰る、後のことはよか頼む」
「後のことなど知らん」
「知らんとはなんつうこつか」
大久保との有名なやりとりである。
そばにいた伊藤博文が聞いていたので広まったらしい。
どうにもこの二人というのは、
幼少時から常に一緒にいたせいもあって、
どうも第三者には意味が取りにくい会話も多かろうと。
「後のことなど知らん」と言った大久保が
その後も死ぬまで国のために働いたのは異論のないところだろうし、
じゃあ、その二人の言う「後のこと」とは、
具体的に何を指しているのかと、疑問に思う。